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「塩釜市魚市場開設50周年記念塩釜市魚市場五十年の歩み」
昭和四年、魚市場開設以来半世紀の歩みは決して安易なものではなかった。翌五年は全国各地で各種工場の閉鎖、失業者の続出、豊作飢饉など、大正末年以来の恐慌が絶頂に達した年である。
昭和十三年、魚市場は一時は問屋の単一合同化と魚価高にささえられて活気を呈したものの、その後、満州事変、支那事変、第二次世界大戦と、わが国の政治、経済、社会は大激動期を迎え、漁船、漁船員の徴用によって漁業は壊滅的な打撃を受け、魚市場もまた各種統制の強化によって戦中、一時その機能を失うなど多難の日がつづいた。
しかし戦後は、現に活躍されている株式会社塩釜魚市場、塩釜地区機船漁業協同組合の役職員の方々をはじめ、漁船主、加工業者等、関係者の方々の努力によって次第に復旧し、昭和四十年には新魚市場が完成、背後の新浜町一帯は流通加工センターとして整備された。
本書は昭和四年以来五十年の歩みを略述したものであるが、本市魚市場をめぐるこんごの情勢は、以前にも増してきびしいものになるだろう。漁場、漁獲量の国際的規制は、これからもますます強化されることは明らかであるし、かつて交通網に恵まれた本市も、いまや高速道等の整備によって県内をはじめ、岩手、青森の各漁港となんらのハンディもなくなった。
魚市場はいわば本市経済界の心臓である。仙石線が高架複線化し、市内の商店街が近代化されても、魚市場の発展がなければ本市の成長はない。
かつて戦前、戦中、戦後、私たちの先人、先輩が魚市場の充実、本市の発展のため、精魂を傾け、情熱をそそいで努力されたように、これからもまた関係者はもとより市民一体となって漁船の誘致に、受け入れ態勢の整備にこれまで以上に苦心、努力しなければならない。
極めて簡単ではあるが本書によって過去五十年の歩みをかえりみ、今後の魚市場発展のためいくらかでも参考になれば幸甚である。
各位のご協力とご尽力をお願いして序とする次第である。
昭和五十五年十月一日
塩竈市長川瀬基治郎