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【塩竈神社の流鏑馬】
塩竈市は宮城県のほぼ中央、仙台市と日本三景で知られる松島との中間に位置しています。奥州一の宮鹽竈神社の門前町として、またみなとまちとして栄えてきました。古くは、陸奥の国府多賀城への荷揚げ港として、藩政時代には伊達藩の港として、明治以降は国内有数の港湾都市として、また、近代になってからは近海・遠洋漁業の基地としても発展してきました。「日本一の生鮮マグロの水揚げ港」に代表されるように、新鮮な魚介類が豊富にあり港町独特の食文化がつくられています。すし店の数も多く、水産加工業も盛んで、笹かまぼこ、揚げかまぼこなどの水産練り製品など、日本有数の生産量を誇るものが数多くあります。また、「奥の細道」には松尾芭蕉が塩竈から松島へ舟で渡ったことが綴られていますが、塩竈には松島観光の海の玄関口としての一面もあります。あまり知られていませんが、八百八島といわれる松島の島々のうち半分以上は塩竈市の行政区にあります。特に人が住んでいる浦戸諸島には、菜の花、潮干狩り、海水浴、釣りやマリンスポーツなど海や島を楽しむため多くの人が訪れています。
塩竈の浦(千賀の浦)は、はるか都人のあこがれの地だった。都人はまだ見たことのないこの地に思いを馳せ、歌に表してきた。「みちのくはいづくにあれど塩竈の浦こぐ舟の綱手かなしも」(古今集・東歌)「塩竈の浦吹く風に霧晴れて八十島かけて澄める月影」(千載集・藤原清輔)「見し人のけぶりとなりしゆふべより名もむつましき塩竈の浦」(新古今集・紫式部)
【浦戸諸島の菜の花】
塩竈市観光物産協会<外部リンク>