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印刷用ページを表示する 更新日:2019年12月2日更新

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塩竈の水道の特色は、水源の大半を遠く離れたところに求めていることがあげられます。特に大倉ダムは浄水場に届くまでに約32キロメートルもの導水管を経て、塩竈へ届きます。

このことにより、塩竈市では元来、災害や事故に対する意識が非常に高く、管網の整備と合わせて災害に強い水道施設を作るよう心がけています。

梅の宮浄水場

梅の宮浄水場は昭和38年に完成し、仙台市青葉区にある大倉川水系大倉ダムを水源とする、塩竈市唯一の浄水場です。
一日最大30,000立方メートルの浄水能力を持っています。場内には10,000立方メートルの水を貯水できる配水池があり、そこから塩竈・多賀城市内に点在する配水池を経由して給水区域に供給しています。また、平成2年より宮城県の仙南・仙塩広域水道事業より、刈田郡七ヶ宿町にある七ヶ宿ダムの水を、白石市にある南部山浄水場で浄水処理し、その飲料水を梅の宮浄水場敷地内にある5,000立方メートルの容量を持った配水池に受水して、そこから市内へ供給しています。
このように、2つの水源を持つことで、災害時のライフラインを確保でき、利用者の皆さんに安定して水道水をお届けすることが可能となっています。
浄水場では、24時間体制で大倉ダムの水をろ過して飲料水をつくる浄水作業の他にも、毎年策定する水質検査計画に基づき定期的に水質検査を行い、結果を公表することや、毎日市内の複数のチェックポイントでの水質検査を行い、安全でおいしい水を皆さまにお届けしています。

梅の宮浄水場の画像

市内の配水池

塩竈市の特色として、丘陵地と埋め立て地が多いことによる高低差が大きく、配水管にかかる負担が大きいことが挙げられます。これにより昔から漏水事故などが発生しやすい地形となっていました。これらを影響を和らげるために、市内各地に配水池を建設し、災害・事故などに際しても安定して給水できるようにしています。また、一日の中でも配水量にばらつきがあり、水圧の変化などによる濁り水の発生を抑えるなどの効果もあります。
給水区域内には配水池が16池あり、全体の貯水量は31,020立方メートルにものぼり、これは塩竈で一日に使用する水の最大量と同じぐらいになっています。
それでは、市内の配水池を建設した順にご紹介していきます。

権現堂低区配水池

明治44年に築造された配水池で、給水区域内にある配水池の中でも最も長い歴史を持ちます。現在の梅の宮浄水場が運転開始される以前の権現堂低区浄水場および高区浄水場が稼動していた時代から、およそ98年間給水していました。
現在は休止中です。

権現堂低区浄水場の画像

権現堂高区配水池

1号、2号の二つからなり、1号配水池は大正4年に塩釜港が第2種重要港湾の指定を受けたことにより、市街地の発展および人口増加により水不足に陥ったため、昭和6年に権現堂高区浄水場の建設とともに1号配水池が築造されました。

2号配水池は昭和28年に給水量の拡大とともに増設された配水池です。配水池中央上部に歩廊があり、配水池内を目視でも監視できる構造となっている点が違います。この二つの配水池により広範囲で多くの家庭に配水している主要な配水池です。

主に北浜一丁目、三丁目、海岸通、尾島町、港町、中の島、新富町などの約3,400戸に給水しています。

権現堂高区浄水場の画像

上の原配水池

1号、2号の二つからなり、1号配水池は昭和16年塩竈市の市制後の急速な発展に伴い、付近丘陵地帯での住宅建設が急激に増加したことにより、1号配水池が築造されました。今でも当時の歴史を示すように、この配水池の上には鋼板製のタンクが設けられていて、配水池築造以前の施設が残り、塩竈市の発展とともに刻んだ歴史を垣間見ることが出来ます。

昭和31年には、人口の著しい増加により、丘陵地の給水が十分ではなくなったために、2号配水池が築造されました。
主に梅の宮、小松崎、北浜二丁目などの、約1,100戸に給水しています。

上の原配水池の画像

天の山配水池

旧多賀城海軍工廠の施設であった、配水池の役目を引き継ぐ形で築造されました。給水区域内では、唯一多賀城市内にある配水池です。隣接している多賀城市の配水池も同じ場所に建設されている為、連絡管なども設置され、非常時の相互応援体制も備えた配水池です。
主に、牛生町、芦畔町、舟入一丁目、二丁目などの、約1,200戸に給水しています。

梅の宮RC配水池

現在、稼動している梅の宮浄水場とともに築造された配水池で、給水区域全体の中枢ともいえる配水池です。他の配水池と違い、給水する役割のほかに各配水池への送水も担っており、配水池の中でも最大の貯水量を誇ります。

主に赤坂、権現堂、杉の入二丁目、三丁目、藤倉一丁目、二丁目などの、約6,500戸に給水しています。

石浜配水池

1号、2号の二つからなり、1号配水池は浦戸簡易水道時代からの配水池で、昭和46年に上水道に移管されました。また、梅の宮浄水場から海底送水管を通り、最も長い距離を経て届く配水池です。

2号配水池は、浦戸諸島の産業である海苔や牡蠣の最盛期(11月~3月)になると水需要に対応できなくなっていたことから、建設されたものです。この配水池建設に伴い、海底送水管も口径を大きくしています。

主に桂島、石浜、野々島、寒風沢島、朴島などの、約200戸に給水しています。

石浜配水池の画像

天の山高架タンク

他の配水池とは構造が違い、鋼板製の高架タンクです。その特徴的な形状から、給水区域の高台に立って遠くを眺めると、このタンクを見つけることができます。また、天の山配水池と同じ敷地内にあり、非常時には天の山配水池から揚水して貯水することも可能です。
主に多賀城市笠神一丁目、二丁目、下馬三丁目、花立町などに、約2700戸に給水しています。

天の山高架タンクの画像

権現堂PC1号配水池

給水区域内では初めてPC工法(プレストレストコンクリート工法)で築造された配水池で、見かけとは違い配水池のコンクリート内には、桶の箍(たが)のようにピアノ線のような鉄線が張り巡らされ、この鉄線の張力(引っ張る力)によって、水をせき止める構造になっており、壁を薄くすることができ、容量を増やすことができます。また、災害時などの給水拠点とする為に、緊急遮断弁が設けられ、過流量を検知し、緊急時には市内への給水を停止し、水道水を確保できる機能も持っています。

主に玉川一丁目、二丁目、三丁目、袖野田町、西玉川町などの約1,700戸に給水しています。

権現堂PC1号配水池の画像

権現堂PC2号配水池

権現堂PC1号配水池と同様にPC工法によって築造された配水池です。同PC1号との連絡管が設けられ、非常時に緊急遮断弁により1号配水池が給水停止した場合には、この2号配水池から給水を行うようになっています。

主に白萩町、野田、南錦町、桜ヶ丘、下馬一丁目、二丁目などの、約2,700戸に給水しています。

権現堂PC2号配水池の画像

青葉ヶ丘配水池

昭和50年台に行われた丘陵地帯の団地造成に伴い、青葉ヶ丘団地の給水を担う目的で築造されました。給水区域内の配水池の中では最も小さい配水池です。
主に青葉ヶ丘に給水しています。

青葉ヶ丘配水池の画像

松陽台PC配水池

青葉ヶ丘配水池と同様に団地造成に伴って築造された配水池です。他の配水池と違い、円筒形の配水池内部は真中から南北2室に仕切られています。また、この特徴を活かして、南側の1室には緊急遮断弁が設置されており、緊急時の給水拠点となる一方、常時の給水も維持する万能型の配水池です。

主に松陽台、杉の入一丁目、楓町などの、約1,300戸に給水しています。

松陽台PC配水池の画像

梅の宮PC配水池

梅の宮浄水場周辺の団地造成に伴う水需要と、昭和51年に塩竈市を含む7市10町で仙南・仙塩広域水道の受水計画が決定し、その受け入れ態勢を整えるために築造されました。配水池内部の構造が上下2層に分かれていて、上部の1室が高区と呼ばれ1,500立方メートル、下部の1室が低区と呼ばれ3,500立方メートル貯水できる構造になっています。高区は浄水場と同じ標高の地域に給水する配水池となっており、低区は平常時には梅の宮RC配水池の調整用として機能するほか、緊急時の給水拠点となる役割も担っています。
高区は主に伊保石、越の浦一丁目、二丁目、千賀の台一丁目、二丁目、三丁目、清水沢四丁目、後楽町などで、約3,100戸に給水しています。

梅の宮PC配水池の画像

藤倉PC配水池

昭和40年代より、魚市場およびその周辺の水産加工団地の形成により、市内水産業が急速に発展し水需要が増加したため、安定給水を図る目的で築造されました。しかし、平成15年5月26日に発生した三陸南地震により、配水池のコンクリート壁面上部に亀裂が生じたため、解体されました。この事故を教訓として更なる地盤改良をはかり、平成18年12月に完成し、平成19年6月から供用開始しました。

主に新浜町、藤倉三丁目などの約1,500戸に給水しています。

藤倉PC配水池の画像

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