ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 ホーム > 組織で探す > 産業建設部 > 商工観光課 > シオーモの小径

シオーモの小径

印刷用ページを表示する 更新日:2023年8月1日更新

本文

 シオーモの小径は、明治以降に塩竈を訪れた文学者たちの言葉〈海や港をモチーフにした短歌、俳句、紀行文、童話〉によって、塩竈の近代から現代までの面影を象徴的に表したものです。シオーモの小径という名称は、宮澤賢治が童話『ポラーノの広場』で、「塩竈」をイメージして付けた空想のまちの名から、〈シオーモの小径〉としました。
 美しい塩竈の海と文学者たちの作品にふれながら、小径の散策をお楽しみください。

シオーモの小径 文学者略歴

(1)生まれ (2)職業 (3)塩竈との関わり (4)文学碑の出典

 

◆正岡子規(まさおか しき)

 (1)慶応三年~明治三十五年(1867~1902)。愛媛生まれ。  (2)俳人。歌人。

 (3)明治二十六年七月、汽車で塩竈を訪れる。鹽竈神社に詣でて、当時の海老屋旅館で昼食し、船で松島へ。

 (4)俳句は、紀行文『はて知らずの記』より。

 

◆田山花袋(たやま かたい)

 (1)明治四年~昭和五年(1872~1930)。群馬生まれ。  (2)小説家。

 (3)大正三年三月、大正六年十二月など、幾度か塩竈を訪れる。

 (4)紀行文は、『山水小記』より。

 

◆与謝野寛(よさの ひろし)

 (1)明治六年~昭和十年(1873~1935)。京都生まれ。  (2)歌人、詩人。

◆与謝野晶子(よさの あきこ)

 (1)明治十一年~昭和十七年(1878~1942)。大阪生まれ。  (2)歌人、詩人。

 (3)寛は、明治二十六年八月に鹽竈神社を訪れ、大正十三年九月には、夫婦で青根温泉に泊まり、塩竈を訪れる。

 (4)歌は『明星』より。

 

◆齋藤茂吉(さいとう もきち)

 (1)明治十五年~昭和二十八年(1882~1953)。山形生まれ。  (2)医師、歌人。

 (3)何度か塩竈を訪れている。昭和六年十一月には、夫婦で塩竈を訪れ、当時の塩竈ホテルに泊。

 (4)歌は『石泉』より。

 

◆若山牧水(わかやま ぼくすい)

 (1)明治十八年~昭和三年(1885~1928)。宮崎生まれ。  (2)歌人。

 (3)大正五年三月、東北の旅の途中、仙台から汽車で塩竈を訪れ、鹽竈神社に参拝し、松島に足を運ぶ。

 (4)歌は『朝の歌』より。

 

◆北原白秋(きたはら はくしゅう)

 (1)明治十八年~昭和十七年(1885~1942)。福岡生まれ。  (2)詩人、歌人。

 (3)昭和十五年六月、松島から船で塩竈を訪れ、鹽竈神社に参詣、勝画楼で蝦蛄(シャコ)と蟹で昼食。

 (4)歌は『海坂』より。

 

◆宮澤賢治(みやざわ けんじ)

 (1)明治二十九年~昭和八年(1896~1933)。岩手生まれ。  (2)詩人、児童文学者。

 (3)明治四十五年三月、十六歳の時、修学旅行の途中、石巻から船で塩竈(シオーモ)に。七ヶ浜に泊まり、翌日、汽車で仙台(センダート)へ。

 (4)童話『ポラーノの広場』より。

 

◆高橋睦郎(たかはし むつお)

 (1)昭和十二年~(1937~)。福岡生まれ。  (2)詩人、歌人。

 (3)鹽竈桜の季節や佐藤鬼房との交友を深めるため、塩竈をたびたび訪れる。歌は、塩に縁のある「近(ちか)の塩竈」に対する「遠(とお)のザルツブルク」を詠んだもの。

 (4)『歌枕合』(平成十七年)より。

 

◆佐藤鬼房(さとう おにふさ)

 (1)大正八年~平成十四年(1919~2002)。岩手生まれ。

 (3)二歳の時に塩竈に移り住み、働きながら句作に励む。戦後を代表する俳人。市内権現堂に〈鬼房小径〉がある。

 (4)俳句は昭和三十年作、『海溝』より。

 

シオーモの小径の情報 [PDFファイル/643KB]

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)

このページをシェアする <外部リンク>