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神社とその文化

印刷用ページを表示する 更新日:2021年6月1日更新

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鹽竈神社と志波彦神社

正確な年代は不明ですが、鹽竈神社は奈良時代(710–794)より前に創建されたと考えられています。志波彦神社はより近年の1874年に現在の場所に移されました。今日、この二社は同一の境内にあり、いくつかの祭りを共同で開催しています。

鹽竈神社は三神を祀っています。海の守護神であり人々に製塩の方法を伝授した鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)は別宮に祀られています。戦の神である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)はそれぞれ左宮と右宮に祀られています。1704年に建立された本殿は、背面より全面が長い非対称の傾斜屋根を持つ流造(ながれづくり)という建築様式で建てられています。

志波彦神社は、塩竈地域の守護神でもある農耕の神・志波彦神(シワヒコノカミ)を祀っています。黒と朱で塗られた豪華な本殿は、1938年に建て直されたものです。

参拝者は、両脇に杉の木立が鬱蒼と茂り、石灯籠が立ち並ぶ202段の石段を登って社殿に向かいます。階段の上にそびえる重厚な随神門(1700年代建造)をくぐると神社の中心部にたどり着きます。

神社の敷地は、塩竈市と松島湾の島々を見晴らす約3万平方メートルの高台です。境内には、国指定重要文化財の社殿14棟に加え、落ち着いた日本庭園や40品種約300本の桜の木があります。国の天然記念物に指定されている鹽竈桜も含まれています。塩竈桜は4月下旬から5月上旬にかけてふわふわした八重の花を咲かせます。

鹽竈神社と志波彦神社では、年間を通していくつかのお祭りが開催されます。春には日没後に桜がライトアップされ、「帆手祭(ほてまつり) 」では16人の男たちが重さ1トンの神輿を担いで202段の石段を下ります。夏の「みなと祭」では、両神社の神輿が龍や鳳凰を模した華やかな船に乗せられ、松島湾を巡幸します。11月23日に行われる収穫祭「初穂曳(はつほひき)」には、本殿の前の広場が豊穣と大漁に感謝して捧げられた米俵や巨大な魚、野菜で埋め尽くされます。また、2月上旬には、両神社は春の訪れを告げる盛大な節分祭を開催し、邪気を祓うとされる豆まきを行います。

鹽竈神社の神事と神輿

鹽竈神社と志波彦神社では、年間を通じて様々な神事や多くの祭りが行われます。両神社の神輿は、最も盛大な三つの祭りに登場します。

3月の「帆手祭(ほてまつり) 」と4月の「花まつり」では、鹽竈神社の神輿が市中を巡幸します。7月の「みなと祭」では、両神社の神輿が龍や鳳凰を模した華やかな船に乗せられ、松島湾岸沿いを巡幸します。祭りの期間以外には、神輿は鹽竈神社博物館に展示されています。

鹽竈神社の黒漆塗りの神輿は280年以上前に造られました。この神輿の重さは約1トンにもなりますが、祭りの際にはわずか16人の男たちに担がれて市街へと続く202段の石段を下ります。50年ほど前に造られた比較的新しい志波彦神社の神輿は鮮やかな朱色です。

この2基の神輿に加え、鹽竈神社博物館は江戸時代(1603-1867)から明治時代(1868-1912)にかけての書物や版画などを数多く所蔵しており、その中には当時の神輿行列や祭りの様子が描かれているものもあります。

藻塩焼神事

この古くから伝わる塩づくりの儀式は、年に一度、鹽竈神社のふもとの門前町地域にある御釜神社で行われます。1979年に宮城県の無形民俗文化財に指定された藻塩焼神事は、同種の神事としては日本で唯一現在でも行われているものです。

藻塩焼神事は7月4日から6日までの3日間にわたって執り行われます。この神事は海水から塩を作る方法を人々に伝授した神、鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)に捧げられます。

初日は、近くの七ヶ浜地域にある鼻節神社の湾で神職が海から水と海藻を採取します。

二日目には、神職は満潮時に船で松島湾に出て水を汲みます。その後、神社内に置かれた4つの鉄釜の水を入れ替えます。1636年の記録には、この水の色は近い未来の大きな変化や危険の訪れを告げているかもしれないと書かれています。

最終日には、神職は大きな平釜を用意し、その中に厚い海藻の層を通した海水を流し込みます。釜を火にかけた後は、水が蒸発するまでかき混ぜ続けます。こうしてできた塩は御釜神社と鹽竈神社の神々に奉納されます。

鹽竈神社博物館の2階では、この神事の様子を収めた映像を見られるほか、塩竈の塩づくりの歴史をより深く知ることができます。

刀剣

鹽竈神社博物館は見事な刀剣の数々を収蔵しています。これらの刀剣はすべて、江戸時代(1603–1867)に仙台藩(現在の宮城県を含む地域)を治めていた伊達家の歴代当主が鹽竈神社の祭神に奉納したものです。39本の刀剣が奉納されたと記録されており、そのうち35本が鹽竈神社博物館に展示されています。

新しく藩主が着任すると、鹽竈神社の三祭神(製塩の方法を人々に伝授した鹽土老翁神(シオツチノオジノカミ)および戦の神である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ))それぞれに1本ずつ、合わせて3本の刀剣を奉納する儀式が行われました。これらの神々は刀剣を奉献したものに寵愛と加護を与えると考えられていました。

これらの刀剣から、伊達家が仙台を治めていた時代の間に刀剣づくりがどのように変化したかを知ることができます。鞘や鍔の精巧なデザインや刃紋の美しさは、仙台藩の刀工が高い技術を持っていたことの証です。

刀剣の他にも、鹽竈神社博物館の収蔵品には仙台藩主が代々身につけた甲冑や兜、大量の地図や書物、そして数学の難問が彫られた大きな木の額などがあります。

門前町

「門の前の町(gate-front town)」という意味である門前町は、重要な神社や寺院の門の付近につくられた町を指す語です。鹽竈神社と志波彦神社のふもとに位置する塩竈の門前町エリアには、この町が最も栄えていた時期の名残りが数多くみられます。

このエリアを歩くと、何百年も続く老舗が目に入ります。その中には1724年から酒を製造している浦霞酒造や、1845年創業の味噌醤油醸造元である太田與八郎商店、1720年に海産物商として創業し、その後和菓子とお茶の店となった「丹六園」があります。

塩竈は(現在の宮城県を含んでいた)旧仙台藩の重要な港であったため、門前町の通りには、この地を訪れる人々を客とする飲食店や商店、旅館などが軒を連ねていました。現存する建物のひとつは御釜神社のすぐ向かいにあり、大切に保存されているゑびや旅館です。ゑびや旅館は江戸時代(1603-1867)から操業していますが、現在の築140年ほどの建物は、明治時代(1868-1912)にもとの建物が火災で焼失した後に建てられました。上の階は週末のみ一般公開されていますが、一階のカフェでは常時ドリンクやスイーツが楽しめます。

何世紀にもわたって愛されてきた数々の老舗に新しい顔ぶれが加わり、門前町は発展し続けています。のぼり旗の並ぶ歩道沿いでは、カフェが訪れる人を出迎え、お菓子や日本酒、かまぼこ(cured surimi fish cake)を売る店は通りを行く人々を塩竈の味覚で誘惑します。

神にふさわしい塩竈の酒

最盛期の塩竈は、多くの旅館や料理店、そして旅人や巡礼者、商人が集って喉を潤した酒場が並ぶ、活気に満ちた港町でした。もちろん、酒に対する需要は非常に高く、この需要に応えるため、塩竈のあちこちに酒蔵が建てられ、今日でも宮城県の名産物である米を使って酒造りが行われました。

塩竈には今でも門前町地域に「浦霞」と「阿部勘」という2つの蔵元が残っています。どちらも鹽竈神社の御神酒(神に奉納する酒)造りから始まった蔵元であり、その伝統は今日まで受け継がれています。

1724年に創業した浦霞醸造元佐浦では、毎日行われている酒蔵ツアーに参加できます。酒蔵は大きな白壁の建物で、入口にはもとは神社ゆかりの別当寺、法蓮寺の建物の一部が取り付けられています。浦霞醸造元佐浦では、地元産の米を90%以上使用して約40種類の上品で軽い飲み口の酒を造っています。蔵に併設された小さなギャラリーでは、3種類のお酒のセットを300円で試飲することができます(20歳以上の方のみ)。

浦霞醸造元佐浦よりわずかに古い阿部勘酒造は、鹽竈神社の神事で使う酒を造るために1716年に創業しました。阿部勘酒造は、11月から3月までの寒い時期に(一部機械の力を借りつつ)人の手によって酒を造る「寒造り」という伝統的な方法を専門としています。阿部勘酒造は塩竈の名物である新鮮な魚介類と相性の良い酒を造ることを目標としているため、市内の多くの寿司屋などで阿部勘の酒が提供されています。

 

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