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水産加工業の概要

印刷用ページを表示する 更新日:2019年12月2日更新

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塩竈市では、笹かまぼこ・揚げ蒲鉾などの魚肉練り製品、塩鮭・塩たらの塩蔵品、粕漬・干物などの漬魚・干物製品など、数多くの水産加工品を生産しており、特に魚肉練り製品や塩蔵たらは、日本で上位の生産量を誇っています。

水産加工業の黎明期

本市の水産加工業の黎明期は明治中期から昭和初期にかけてである。鰹鮪旋網漁業の順調な水揚げに伴い、鰹・鮪の塩蔵品や鰹節、鮪節の製造が盛んに行われ、鮫類の漁獲によりムキ鮫、焼き鮫などの製造も行われていた。
大正初期には底引き網漁業の発達により多種多様な漁獲がなされ、ヒラメやマダラなどを原料とした蒲鉾および油鮫を原料とした焼竹輪が製造されるようになった。特に焼竹輪製造は当時全国屈指の生産量を誇り、大正末期には焼竹輪の組合が設立されるなど、現在の水産練製品隆盛の基盤がつくられていた。
また、仙台湾でイワシやサバが大量に水揚げされたことから、それを原料とした塩蔵品、粕漬け、缶詰等多様な加工品が製造された。

水産加工業の発展

戦中および戦後の物資欠乏の時代を乗り越えて、水産加工業がさらに発展していくのは、昭和30年代後半に大型底引き網漁船、いわゆる「北転船」が北洋海域で操業するようになってからである。北洋の豊富な魚の水揚げがなされ、それを原料とした練り製品や塩蔵タラ・スケソウタラ生産が増加し、現在でも高い全国シェアを誇っている。

公害対策と水産加工団地

昭和40年代初頭、水産加工業の発展に伴い、住宅地や商店街に散在していた工場からの汚水による悪臭や松島湾内の汚染が社会問題となっていた。そのため官民一体となった公害防止の取り組みが行われた。市街地からの工場の移転を進めるため水産加工団地の造成がなされ、当時、全国でも例の無かった共同公害防止施設の建設により排水処理がされた。現在は約100近い企業が水産加工団地で操業しており、公害防止の目的は達成されている。

本市の基幹産業

その後、オイルショックや200海里漁業専管水域設定など水産加工業にとって重大な問題が起きたが、その度に全力で対策に取り組み危機を乗り越えてきた。現在、水産加工業は本市製造品出荷額の7割近くを占める重要な産業として本市経済を支える大きな原動力であり活発な活動を続けている。

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