塩竈市トップページ

文字サイズ
拡大
標準
  • 島案内ブログ
  • アンケート
  • English
  • ご利用規約
  • サイトマップ
  • お問い合わせ

ここから本文です。

更新日:2012年10月1日

若宮丸漂流の事

浦戸の漂流記

若宮丸漂流の事

寛政5年(1793年)11月27日、(24反帆、800石積み)藩米332俵と木材を積んで石巻港を出帆、江戸へ向け南進した。塩屋崎沖で南の強風に遭い、北へ北へと漂流すること約半年、船体破損し食糧もつき16人の生命にも危機が迫った時、辛くも到着したのは魯領(ロシア領)の島であった。
一行は九死に一生を得て上陸し、ロシアの官警に救助されシベリヤを横断し、国王に謁見を許され優遇され、政府の好意によって帰国を希望した津太夫、儀兵衛、左平、多十郎の4名が、軍艦ナデシタ号によって南米を経て無事長崎に送還された。
漂流者一行は、寛政5年11月から、文化元年9月まで12年をかけて世界一周をして奇跡の生還をした。
この事件は「環海異聞」に詳記されている。
多十郎の墓は室浜の入口に建てられているが外の3名の墓碑は土に埋もれてしまったのか発見することができない。寒風沢の加藤家仏壇に津太夫の母の位牌があり供養されている。
乗組員は、寒風沢浜善五郎息水主(船のり)津太夫(46)、寒風沢浜長九朗息水主左平(43)、深谷室浜源三郎息水主儀兵衛(44)、月浜水主多十郎(35)、石巻沖船頭八三郎、石巻水主民之助、小竹浜水主次平、寒風沢浜舵取左太夫、石浜舵取辰蔵、石浜舵取善六、石浜水主銀三郎、石巻水主清蔵、石巻炊夫巳之助石巻水主市五郎。

若宮丸漂流始末

1)レザノフ来航の記述

文化元(1804)年9月6日ロシアの遣日全権大使レザノフが、クルゼンシュテルン大佐の指揮する軍艦ナデジュタ号に乗り長崎に入港して通商を求めたが、このときもわが漂流民、陸奥の津太夫らをつれてきた。(『日本歴史』中央公論)

文化元(1804)年9月、ロシアの遣日全権大使として、露米会社の総支配人レザノフが、ロシア軍艦に乗って長崎に入港した。・・・この船にも寛政5年、木材・米穀を江戸に運送する途中、暴風雨にあい漂流した仙台領の船乗り11名の生存者のうち、帰国をねがう津太夫ら4名がのっていた。(『日本の歴史』小学館)

2)若宮丸漂流記

  • 環海異聞:仙台藩命で大槻玄沢が文化4年にまとめたもの。16巻、付図1巻
  • 写本:現在まで10冊以上発見されている。
  • 刊本:『石巻市史』『鳴瀬町史』『日本人漂流記』『江戸漂流記総集』
    『初めて世界一周した日本人』他

3)若宮丸

奥州牡鹿郡石巻(石巻裏町)

  • 船主:米沢屋平之丞 800石積み、16人乗り
  • 沖船頭:平兵衛

4)乗組員の出身地・氏名・漂流後

  • 牡鹿郡石巻 沖船頭 平兵衛 オンデレッケで病死
  • 宮城郡寒風沢 楫取 左太夫 病気で残留
  • 宮城郡寒風沢 水主 銀三郎 ペリマ残留
  • 宮城郡寒風沢 水主 民之助 ロシアに帰化
  • 宮城郡石浜 水主 辰蔵 ロシアに帰化
  • 牡鹿郡石巻 水主 清蔵 病気残留
  • 牡鹿郡石巻 水主 八三郎 ロシアに帰化
  • 牡鹿郡石巻 水主 善六 ロシアに帰化
  • 牡鹿郡石巻 水主 市五郎 ヤクーツクで病死
  • 牡鹿郡小竹浜 水主 茂次平 ロシアに帰化
  • 牡鹿郡小竹浜 水主 吉郎次 イルクーツクで病死
  • 牡鹿郡石巻 炊 巳之助 ロシアに帰化
  • 宮城郡寒風沢 水主 津太夫 帰国 61歳
  • 宮城郡寒風沢 水主 左平 帰国 42歳
  • 桃生郡深谷室浜 水主 儀平衛 帰国 43歳
  • 桃生郡深谷室浜 水主 太十郎 帰国 34歳

5)帰国者

  • 津太夫 不明
  • 左 平 不明
  • 太十郎 墓碑に「本田住良信士 文化3寅年 長崎より下る
  • 多十郎 4月初朔日 行年36歳」
  • 儀平衛 観音寺過去帳に「長流来見信士 行年46歳」

6)若宮丸漂流年表

1793(寛政5)年

11月27日

若宮丸(松平政千代用材木、米穀1,100石積み、船主米沢屋平之丞、沖船頭平兵衛、水主16人乗組み)石巻出帆。東名入港

11月29日

東名浜出帆 岩城塩屋崎沖で南西風にあう

12月 2日

漂流

1794(寛政6)年

5月10日

アリューシャン列島の一小島へ漂流

6月 4日

ヲンデレッケストロ島へ渡る。原住民(アレウト族か)に救われる。

≪平兵衛 病死≫

6月13日

ロシア役人と共にナアツカ(アトカ島)着。

1795(寛政7)年

4月 3日

ナアツンカ出発

4月27日

サンハメウ着

6月28日

オホーツカ(オホーツク)着

8月18日

オホーツカ(オホーツク)出発

10月13日

ヤコーツカ(ヤクーツク)着

≪市五郎 病死≫

11月24日

ヤコーツカ(ヤクーツク)出発

1796(寛政8)年

1月24日

エリコウツカ(イルクーツク)着

1796~1803年(8年間)

 

エリコウツカ(イルクーツク)滞在

≪吉次郎 病死≫

新蔵(伊勢国神昌丸の残留者)通詞

1803(享和3)年

3月初旬

エリコウツカ(イルクーツク)出発≪左太夫・清蔵 病気で残留≫ → カラスナヤッケ(クラスノヤルスク) → トンスケ(トムスク) → エカテンホルカ → コンクリ → ヘーリマ(ペルミ)≪銀三郎 病気で残留≫ → ガザニ(ガザン) → モスコウ(モスクワ)

4月27日

ビゼリボルカ(ぺテルスブルグ)着

5月16日

アレクサンダーⅠ世と会見
10名中 帰国希望4人 露国帰化希望6人
帰国者 レザノフの対日交渉に利用するとの意向

6月16日

カナシタ(クロンスタット)出帆 ナデジュタ・ネヴァ号 → カウヘイカハニ(コペンハーゲン) → タンケリヤ(イギリス) → カナリヤ(カナリヤ群島)

11月下旬

エカテレナ(ブラジル)着

1804(文化1)年

1月初旬

エカテレナ(ブラジル)出帆

4月

マルケサ(マーケサス群島) → サンヘーツケ(サンドウィッチ ハワイ)

7月初旬

カムシャッカ(カムチャッカ半島ペトロバウロフスク)

8月 5日

カムシャッカ出帆

9月 6日

長崎着

1805(文化2)年

3月10日

漂流民4人 揚り屋には入る

3月25日

ナジュダ号 帰国

関連のリンク

お問い合わせ

所属課室:産業環境部浦戸振興課(市営汽船係)

宮城県塩竈市港町1-4-1(マリンゲート塩釜内)

電話番号:022-361-7710