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| 浦戸水道の沿革 |
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創設
松島湾に点在する浦戸諸島は全島第三紀凝灰岩からなり、湧水もなく島民は表土浸透水に依存していたため、冬期、夏期には深刻な水飢饉に悩まされていたが、離島振興法に基づき、昭和33年12月25日事業実施地域として指定を受け、昭和40・41年度の継続事業として簡易水道の竣工をみた。工事は本土伊保石砂防ダム内より取水、浄水し松島湾海底を125ミリメートル鋼管で横断、桂島に揚陸、石浜配水池(240立方メートル)を経て自然流下により4島、5地区に給水するというものであった。

浦戸海底送水管布設工事
上水道編入 < blockquote> 昭和46年10月同ダム水源の枯渇等により上水道に編入したが、同施設は生活用水の供給が主目的であったため、島の産業であるノリ、かきの最盛期(11〜3月)の期間は水需要に対応できず3日に1日づつ各島りん番給水を毎年繰り返してきた。このため昭和50年度から54年度までの5ヵ年で海底送水管250ミリメートルを更に布設し配水池(410立方メートル)1池を増設給水の万全を計り現在に至っている。

石浜配水池
浦戸諸島は面積が狭く、勿論河川はありません。また、湧水も皆無で、表土浸透水に依存をしていました。つまり雨水だけに依存していたのです。こうしたことから、雨降石等の信仰があるのでしょう。
雨の少ない冬・夏には深刻な水飢饉に悩む苦難の年月が続いていたそうです。農業用水はもちろん、台所をあずかる主婦の皆さん・学校給食の担当者の苦労は並大抵では無かったでしょう。
昭和34年・昭和38年塩竈市で、東北大学に依頼し、地質調査を行ないましたが、島内に良質の水を求められる見込みが無いとの結論となりました。
その間も、島民の水を求める声は益々つのり、昭和38年に水道施設促進期成会が結成され、市と地元が一体となり調査・研究等を行い、海底に6,600mもの送水管を布設する大工事を始める原動力となりました。
水深の浅い松島湾の状況に鑑み、台船布設という工法を、わが国において初めて採用し、この工事が行われました。
| 工事の経過 |
| 起工式 |
昭和40年12月23日 |
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昭和40年度 |
島内陸上の送水管及び配水池を施工 |
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昭和41年度 |
水源及び海底送配水管を施工 |
| 竣工 |
昭和41年10月31日 |
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浦戸の水道は、仙台市の大倉ダムや七ヶ宿町の七ヶ宿ダムからから長い距離を通って届きます。
詳しくは、塩竈市水道部のホームページをご覧下さい。
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