 |
 |
| 浦戸村役場の沿革 |
|
浦戸村役場の建物は元寒風沢の名家長南C八郎代々の邸宅の奥座敷の一部である。
長南家は明治6年或る事情の爲、負債を生じ身代限の處分を受け此地を退去した。
其の主たる債権者は伊達伯爵家であった爲に邸宅及其他の土地も全部伯爵家の所有となった。
然るに明治28年4月、浦戸小學校が消失の爲め全部燒失したので、有司協議の結果、他の適地を撰定することとなり、資材の關係上長南氏の舊地を適當として當時の宮城郡町大童信太夫の斡旋盡力に依り、此邸宅を學校建築地として建物全部と共に拂下を出願したところ、伯爵家では彼の邸宅は伊達家數台に渉り藩主出駕の節は何時も駐泊され、また明治戊辰の際奥羽鎮撫總督九條公の一行が錦旗を奉して駐せられた家であって、伯爵家とは淺からぬ家宅である故、世襲財産として保存すべきものであるが、學校に使用するといふことでは拒否することも出來ぬから拂下るとしても、藩公の泊された奥座敷丈は殘して保存されたいと云ふ條件で邸宅と其他の土地も全部特別なる拂下金で村有となったもので、學校建築の際、此二間を殘し建物全部を用材として學校が出來たのである。
而してこの二間を補修して村役場に使用して居るのである。
|