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寒風沢の昔話・伝説(神明社霊験の事)
神明社霊験の事


 房州の人で若年のころより永い間、舟乗りとして江戸、浦賀、四日市、函館、石巻、寒風沢等を、いわゆる御穀船と称する大船に乗り組み航海し、明治維新の後は、西洋形帆船に乗りて東京より各地の港湾に往来せる綽名を本牧安(ほんもくやす)と呼ばれた安蔵という人があった。

 なぜ、本牧安と呼ばれたかというに、珍しきほどの禿頭で、その頭が本牧岬の如く禿げているからであったという。
 この人、至って実直で、同業者仲間でも信用が篤く、往来の各港でも評判のよい舟乗りであった。常に職業がら讃岐の金毘羅社を信仰し、殊にこの寒風沢港には十五、六歳のころより出入りしてあった故か、寒風沢の神明社は私においては一層信敬が深いと常に人に語っていた。以下、同人の話。

 ある年、東京から南部の八戸港に鰯粕積み取りのため、西洋型帆船「鳴鶴丸」に乗り組み航海した。
 ところが下総犬吠崎附近より東南の暴風雨が襲来し、鹿島の浦(鹿島洋、外洋なるも、舟乗りはこの湾曲せる一帯の外洋を鹿島の浦と呼ぶ)にさしかかりし際は夜に入り、風力ますます強く次第に高浪となり、怒涛甲板を洗い、メンマスト(後檣)上帆の一部を破られ、船体は今にも沈没せんかと思われ、乗組員全部は必至となりて操帆、操舵に立ち働きしも、雨はますます烈しく、甲板上に打ち込む激浪はたえず、乗組員の操作は水中において動作すると同様にして、船の内外のランプは皆消滅し、夜は無準の闇にして羅針盤の方向を見ること能わず、船の進退は絶対不能となり、今は運命を天に任すよりほかなく、乗組員一同は、このうえは神に頼るのほかなしと、船長菊地高蔵氏(八丈島の出身)と協議し、一同一心不乱に寒風沢の神明の宮に祈願し、その方針を知らしめ玉えとしばし拝祷せしに、不思議にも無準の暗がにわかに明るくなり、檣といわずラアー(帆桁)と言わず、船の両舷ブリッジ(船橋)にいたるまで瓦斯の光の如き青白光が無数の燈を点ずるが如く耀き、船中の働きは自由となり、羅針儀の方位も明らかに見るを得るに至り、船中一統神助の著顕なるを感銘し、極力東方に向って航走を続けしに、翌朝未明に金華山の燈火を見て針路を石巻港に転ず。
 航走中風雨次第におさまりて無事石巻港に投錨し得たるは、これひとえに寒風沢の神明の宮の霊護である。

 私は船乗り一生の中に、神に祈願して、かくの如き霊験の顕かなることが実に実に不思議に堪えないとてさっそく船長菊地氏とともに乗組員一同神明社へ裸跣にて参拝したことがある。

 このほかにも房州人で船乗りをした出口栄吉という人や、種々の人びとが、神明社の海上におけるところの霊験談を数々聞いているが、それは略して安蔵氏の談のみをしるす。安蔵氏は天保7、8年頃の生まれの人で、明治17、8年ごろまでこの地に航海往復した人である。

地図 寒風沢 地図 神明社 写真 神明社 写真 奉納額
 神明社は、寒風沢の(現在の)港から南の方向に進み、前浜海水浴場の手前にある、小さい地図の赤丸のあたり。
写真 神明社からの眺め 写真 絵馬「鮭を運ぶアイヌ」 写真 千石船の奉納額
 写真では木が邪魔でよく分かりませんが、すぐ目の前に、広い水平線が広がります。
 社は、まわりにある沢山の木々に風から守られ、切り立った崖の下の方から波の音が聞こえてきます。神様が、この社の中にいて、海の方を見つめている様な気がする場所です。
 塩竈市指定の有形民俗文化財である、絵馬「鮭を運ぶアイヌ」や、数々の千石船の額もこの社に奉納されたものです。
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