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寒風沢の昔話・伝説(清太郎の錨揚げ)
清太郎の錨揚げ


 寒風沢港の全盛時代には、毎日、浦戸の島々には、汐待ちや天候待ちをしている藩米輸送の千石船がみられました。
 それらの船の乗組員は、地元出身者が多かったそうです。
 船が碇泊するときは、投錨と錨上げが船員にとっては大仕事でした。どの船にもカグラサン(木で作った巻上機)があって、数人がかりで作業しましたが、中々大変な仕事で、かなり時間がかかりました。
 錨上げの最中に、疾風が吹いて、岸に打ち上げられたり、積荷もろとも難破したりすることも度々ありました。
 ある日「イサナ」の悪天候のため、「マガカリ」中だった乗組員の何人かは、自宅で待機しており、船には独身者と幹部船員が数人だけ残っていました。
 ところが、天候が予想より早く「ダシ風」になり、急激に回復してきて、潮流の条件もよくなって、いっときも早く船を出さなければならなくなりました。
 けれども肝心の錨上げの船員がおりません。船員は、気が気でなく、顔を真っ赤にして、
 「早く、早く、船を出せっ。まごまごしてっと、船が出せねぐなっとォ」
 と、大声でどなるばかりでした。
 そのとき、船に残っていた清太郎という船員がとび出してきました。
 「船頭さぁ。おら1人で錨あげっから、船ば出さえん。大丈夫だから」
 と叫ぶと、「えーいっ」と掛け声も勇ましく綱に手をかけると、軽々と船の上に錨を引き上げました。
 清太郎の怪力のおかげで、船はらくらくと出港し、約束の日までに、米を倉庫に運ぶことが出来たということである。
 当時、千石船の錨は四つ又で、30貫から50貫も目方があったといわれています。

地図 寒風沢 写真 千石船  
 江戸時代、東北の諸藩の米を江戸に送るための海上交通の要として、寒風沢は栄えていました。
 右の写真が千石船です。千石船というのは米を千石運ぶことができることからついた名前です。江戸時代に、1,000石、つまり約150トン(1石=10斗=100升、1升=1.5kg)もの米を、エンジンの無い木綿の帆を使ったこの船で運んでいました。
 50貫目というと、1貫=3.75kgですから、187.5kg。足場の悪い船上で200kg(話を半分と考えても100kg)近い物を持ち上げるのですから、すごい力持ち。
 千石船について、詳しくは千石船のコーナーからどうぞ。
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