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寒風沢の昔話・伝説(延命地蔵尊石像の事)
延命地蔵尊石像の事


 寒風沢松林庵境内の東隅に延命地蔵尊の石像がある。もとこの石仏は、村道鰐ヶ淵道路の路頭北側の観音井戸と称する井戸の側にありしを、明治33年、松林庵管住の伊達達雄峰和尚の代に、檀信徒と計り、松林庵境内に移転したのである。

 この地蔵尊は享保年間の頃村の信徒が江戸深川にて造らしめ、船にてこの地に廻漕したものであるが、不思議にもこの石仏を積み込んで、江戸深川隅田川河口より出帆した船は、至極の順風にて夜一夜にこの寒風沢港に到着したということである。

 その当時は西洋型船舶と違い、船体の構造、檣帆等、設備においても操縦の術においても、江戸方面より一夜はおろか、数日を要するも不可能事であって、通例としては、仙台領より江戸方面への往復航路は、1ヶ年3、4ヶ度の航海は最大能率にして、1、2航海にしてその年の江戸上下を終わるもの多かりしなり。

 その当時、この航路150里の間に、江戸往復の船は奨にして、4〜500石積、大にして2,000石積の日本形御穀船(通称親船)と称して、これらのうち、もっとも数の多いのは公称積石、800石より1,000石のものにして、2,000石積、4〜500石積は少ないのであった。

 その順風待ちの寄港津としては、石巻港やこの寒風沢港より出船して、常陸の平潟、那賀湊、銚子港上総の興津、房州の舘山港、伊豆の下田港、相模の浦賀、三崎等であった。かく要津に仮泊して順風を見合わせておうらいしたのであるが、それでも度々の遭難にて船と人とともに行衛不明になった者も少なくない。

 それを天佑というか、方便というか、夜一夜にここに到着したということは、その当時としては空前絶後のことであると不審したのである。

 かかる霊的の顕現なれば、老若男女の信仰ますます多く、ことに小児の保護神として信仰する者多く、今に至るまでつきの24日の縁日には参詣する者少なくないのである。

地図 寒風沢 地図 松林寺 写真 延命地蔵尊
 延命地蔵尊は、寒風沢の桟橋から東へ少し行ったあたり、松林寺の境内にあります。
 松林寺には、「化粧地蔵」「坂本玄順の墓」「六地蔵」もあります。
 写真 市営汽船「みしお」 写真 千石船
 市営汽船「みしお」は、平成8年に就航しました。
 この船は、神奈川県横浜市鶴見区で建造され平成8年3月に進水後、横浜から塩竈まで回航したのですが、550馬力13ノット(1ノット=1.852km/hですので、およそ24km/h)の速力があるこの船でも、横浜を午前10時に出発、塩竈沖に翌朝5時頃到着。夜明けを待って、午前7時頃に塩竈に入港したそうです。待ち時間を考えなくても、10:00から翌日5:00ですから、19時間かかってます。
 当時の船は、右の写真のような、千石船。この船で、「夜一夜」というのですから、夕方17:00に出て翌朝7:00に着いたとしても14時間。現在の市営汽船よりも速いのですから・・・。
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