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石浜の昔話・伝説(おじゃらの奇談)
おじゃらの奇談


 明治の初めごろから塩竈の外港として、経済文化の中心が石浜港に集まり、貨物船の出入りが日増しに盛んになってきました。

 船乗りたちも、全国から石浜に集まってきて、肝煎の高橋安吉さんの世話になっていました。
 肝煎は出入船の取締りやら、船員の雇入れやら、海事のことまで任されていました。

 この石浜に、「せんちょう浜・おじゃら浜」という、むかし、火葬を行った場所があります。
 他国の者が亡くなったりすると、必ずここで火葬にしたということです。

 昔、海幸丸という船が、航海中に、三河の人で仙吉という船乗りが、釜石沖で急死してしまいました。
 数日後に、仙吉の死体をのせた船が、石浜港に入ったという届けが肝煎のところにきて、肝煎高橋安吉方で一切の手続きを済ませると、瑞厳寺から和尚さんを呼んで、お葬式の用意をしました。

 仲間の船員たちみんなで、火葬の準備も終わり、親しかった權吉と銀蔵の2人が、火葬の世話をすることになりました。
 二人は一晩中、線香をあげ、火葬のための薪を焚き続けました。

 その晩は、静かな晩でしたが、薪や芝の燃え盛る青白い炎、死体の焼ける異様な匂い、その間を黒い煙が渦巻いて、まるで地獄絵のような恐ろしい光景でした。
 それでも、2人は、仲の良かった仙吉のために口々に念仏をとなえながら、一心に薪を燃やしていました。

 そのうち、夜もだんだん更けて、時間もたったので2人は、
 「もうそろそろ焼けだんべなや。薪をたくのはやめでもいいんでねぇがや。」
 と、話していた時でした。

 今まで青い炎を上げて燃え盛っていた火の中から、突然、仙吉が全身の火の粉をふりはらいながら、ものすごい形相で立ち上がり權吉めがけて、かぶさるように抱きついてきたのです。

 權吉はあんまりぶったまげてしまって、口から泡をふいてひっくり返ってしまいました。
 そばにいた銀蔵も、腰が抜けてしまって、真っ青になってがたがたふるえているばかりでした。
 そして、2人とも何もかも分からなくなって、気を失ってしまいました。

 翌朝早く、仙吉の骨を拾いに来た村人たちは、「あーっ!」といったきり、ただぶるぶるふるえながら、互いに顔を見合わせているばかりでした。

 それもそのはず、とうに骨になっているはずの仙吉と、火葬しに行った權吉と銀蔵の3人が、その場にぬだばったまま、気絶していたのですから。

 その後、權吉と銀蔵は“うんけやみ”して、2人とも半年ばかりは寝たきりであったということです。

 地元では、この浜を「小沙羅(おじゃれ)の浜」と呼んでいます。

地図 桂島 地図 小沙羅浜 
 小沙羅(おじゃら)浜は、桂島海水浴場と鬼が浜の間にある浜(赤丸部分)です。
写真 おじゃら浜 写真 おじゃら浜の境目
 おじゃら浜は、観光パンフレットによると「潮が引いていればたどり着ける」とあります。写真右のとおり、潮が引いているとギリギリ桂島海水浴場(写真の奥の方)から来ることができます。
写真 千石船
 江戸時代、浦戸は交通の要所であり、千石船などが全国から集まって来ました。当時は、現在のようなエンジンのある安全な船の旅ではなく、ある意味、風等の気象条件によって、時間も航路も変更を余儀なくされる、冒険的な部分もあったのでしょう。航海の途中になくなる方も少なくなかったのではないでしょうか。
 「肝煎り」とは、“村長”のこと。高橋安吉さんは実在の人物で、浦戸村の村長を明治24年から10年間お勤めになった方です。
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