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千石船(和船の様式)
和船の様式


 江戸期の帆船の呼び名は、何石積、何反帆といわれるが、船体が日本型に定められて、その形態が標準化され、容積(石数)は、長さ、幅、深さ、の3者をかけあわせて、10立方尺を1石とする算出法が決められた。
 たとえば100石級の敷長は全長の約7割、千石級(約150トン)は6割、2千石級は約5割というように、船の大型化につれて太くなる、船型に応じた敷長を定めていた。
 このような後期日本型船は、鎖国時代の海運界の主力代表であったが、その航洋性の不備不足は悪天候、風具合に待避を余儀なくされて、航海日程を遅延させたのみでなく、暴風に遭遇すれば多くは難破した。これは船体構造が最大原因であった。
 難破船の多い年は、仙台から下関までの間で1800隻にものぼった。天保13年(1842年)には9ヶ月間に実に500余隻の船舶が難破している。
 次の表は、百石より千石までの主要寸法とその寸法比の例である。
容積
(石)
敷長
(尺)

(尺)
深さ
(尺)
敷/幅 敷/深 幅/深
100 30.5 10.5 3.2 2.90 9.54 3.28
200 34.0 14.0 4.2 2.43 8.10 3.33
300 36.7 16.5 5.0 2.22 7.34 3.33
400 38.0 18.5 5.7 2.05 6.69 3.25
500 40.5 20.7 6.0 1.96 6.75 3.45
600 42.0 22.0 6.5 1.91 6.45 3.39
700 43.0 22.7 7.2 1.90 5.98 3.15
800 44.0 23.5 7.8 1.88 5.64 3.02
900 44.5 24.5 8.3 1.82 5.37 2.95
1,000 45.0 25.3 8.8 1.78 5.12 2.88
 明治20年(1887年)に500石以上の木造船の建造禁止令が発布され、以後は西洋型帆船、鋼鉄船建造に依存することになり、250余年の大型大和船の時代が終結したのである。
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