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| 千石船(大和型荷船) |
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特定の船型をさして千石船というのは俗称である。古くはただ米千石を積む船があればそれを千石船とよんだことがあるにすぎない。しかし江戸時代になって千石積級の荷船(廻船)がごくふつうに使われるようになると、大型廻船を代表するという意味で千石積の船が1つの基準となり、いつか千石船の呼称が普及していったらしい。
しかし、今日、千石船の名で理解されているのは1つの船型であって、いわば和船の代表的船型といったものに限られている。しかし、これらの大船も、江戸中期以降はだんだんと姿を消して、弁才船の姿しか見られなくなって、今日では千石船=弁才船ということになってしまったわけである。
明治になると、新政府の西洋型帆船への転換政策が始まり、和船との区別をするため和船に対して日本型とか大和型とかいう名称があてられるようになった。これにならって今日では造船史のほうでも弁才船を称して大和型あるいは後期大和型という船型呼称で分類している。

明治初期の千石船(大和型荷船) |

千石船の船箪笥 |

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| 江戸時代の千石船名額:寒風沢の神明社に航海の安全を祈願し奉納されたものです。 |
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