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| 千石船の建造費 |
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江戸時代、いちおうの基準とされているのは、つぎのようであった。(享保年間から寛政年間に行われた算出標準)
イ)千石船元値(10人掛りで40日程度)
(江戸時代1貫目は960文)
千石船新造船 凡50貫目
同2年目代 凡47貫目
同3年目代 凡44貫目
同4年目代 凡41貫目
同5年目代 凡38貫目
同6年目代 凡35貫目
同7年目代 凡32貫目
同8年目代 凡32貫目
但し、此節垣廻り新造値がえ、
同9年目代 凡29貫目
同10年目代 凡26貫目
同11年目代 凡23貫目
同12年目代 凡20貫目
ロ)九百石以下の船元値
九百石船新造船代 凡45貫目
但し1ヶ年2貫800目落の積也。
八百石船新造船代 凡40貫目
但し1ヶ年2貫600目落の積也。
七百石船新造船代 凡35貫目
但し1ヶ年2貫400目落の積也。
六百石船新造船代 凡30貫目
但し1ヶ年2貫100目落の積也。
五百石船新造船代 凡25貫目
但し1ヶ年2貫目落の積也。
当時の船は通常新造後3年目に初登と称して小修繕をする。
新造から6、7年目にノミ打ちで釘をしめる。これまでを新造という。
12年目頃に腐った木材部分や釘・鎹のきかなくなったものをとりかえるなどの大修理を行って若返らせる。これを中年船という。
以後20年目くらいで使用限界に達し、この時代を古船または婆丸(うばまる)という。
しかし、これはあくまでもいちおうの基準であって、使い方や材料・工作の巧拙によってかなりの相違がでる。うまくいけば25年や30年の使用に耐えた。
上の中痛所、すなわち破損箇所は通常修繕見積書に依って、その費用を決定し、また捨道具は、その補給費額によってこれを定めるものである。
しかしながら、補給せらるべき道具は、時価の変動に伴い差異を生じるため、これが標準を定めている。
すなわち、五百石船1隻諸道具、13貫2、3百目、外に小道具1貫目、千石船1隻15貫目500目外に小道具1貫4、500目とする。
当時の千石船の諸道具代内訳を示せば、およそ次の如くである。
帆柱 5貫目
帆桁 600目
帆(20反帆) 1貫500目
1反70目内外
楫 800目
艫 350目程
碇 2貫300目程
1番乃至7番、7番7頭合計
但し重量80貫目、7番迄5貫目落
加賀三房 2貫100目程
イチヒ綱2房 300目程
伝馬 700目程
綱四房 300目程
細物 1貫目程
苫3サオ 600目程
〆、 15貫500目程
上の通、船手格式明白に相改申候上は相互に無違一切多分の了簡を以相定可申候」とある。
明治初期の千石船(大和型荷船)
千石船の建造費用ですが、
新造船1隻50巻目
1貫目が960文ですので、
新造船1隻48,000文(50巻目960文/貫目)です。
で、時そば(落語)なんかで、蕎麦1杯16文ですから
新造船1隻で3,000杯(48,000文÷16文/杯)の蕎麦が食べられることになります。
現在、かけそば1杯500円くらいでしょうか。とすると・・・
500円×3,000杯=150万円
千石船新造船1隻150万円。車1台といったところでしょうか。
あ、この試算ですが、簡単に考えすぎてますので、正確ではありません。
念のため。
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