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| 石浜船たで場跡 |
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“船たで”とは航海が終ると船底を燻焼したものだが、それから転じて船の修理を意味する事になり「船たで場」は各地の湊々にあり、江戸時代は巨船の上架のため石畳が海中まで敷きつめられるなど諸設備がされていた。そして修理工場はたで場の船大工が行ったものだ。
浦戸の「船だで場」は本石浜にあった。明治維新に至り、蒸気船や西洋型帆船の建造の時代となって、白石商会の専用造船場として使用されてきた。
風波等のため現場は自然崩壊し、大正、昭和と数次に亘り護岸の改修が行なわれ、現在その跡型も認めることができない。
古老の言によれば二重堤防が築かれ千石船が横づけできるようになっていて、白石商会の倉庫が連なり直接荷揚げが行なわれていたという。東端に洞窟があり、二ヶ所の入口が見える。当時は陸にあったが現在その前面は海となっている。
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