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災害(浦戸空襲)
浦戸空襲


 昭和20年8月9日午前6時過ぎ、1機の小型戦闘機が、船入島すれすれに低空飛行で石浜水道を通り抜け、松島湾上を飛行して行きました。
 だれもが、「日本軍の戦闘機であろう」と気にもとめませんでした。
 数十分して同方向からまたも、「キエンー」と金属音を響かせながら飛んできたかと思うと「ダダダダダン」と、機銃掃射をして、湾上に消えて行きました。はじめて朝の空襲に気づいて、防空壕に避難するもの、岩がけにへばりつくもの一瞬静まり返りました。
 続いて1機またも同方向より飛来してきたかと思うと、梅浜高台(現浦戸第二小学校)に「パッパッパッ」と土煙があがり掃射をしていく。
 当時少数の監視兵が駐留していたことを知っての空襲でした。警戒警報も空襲警報もあとのまつりでした。
 その後の話では蒲生付近の空襲が相当にひどかったそうです。
 6日後の8月15日天皇の終戦についてのラジオ放送があり、日本が敗戦したことが国民に知らされました。この時ほど、日本国民全体が消沈し、かつ又、安堵したことは無かったでしょう。
 浦戸諸島は上代より戦火にあったことはなく、史上初めてのことでした。
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